2019年07月20日 (更新:2020年08月04日)
三菱ワークス!ラリーアート(RALLIART)の歴史を紹介!
2010年3月31日、惜しまれながらもモータースポーツ事業を撤退したラリーアートですが、今なお三菱ファンの心を惹きつけて離さない三菱のワークスブランドです。2010年3月31日、惜しまれながらもモータースポーツ事業を撤退したラリーアートですが、今なお三菱ファンの心を惹きつけて離さない三菱のワークスブランドです。今回の記事ではラリーアートが歩んできた歴史、参加してきたモータースポーツをご紹介します。
ラリーアートは株式会社であり、三菱自動車の子会社のこと。WRCやパリ・ダカールラリー通称〝パリダカ〟などへ積極的に参加しつつ、参加チームへの支援を行っていました。
また、ラリーアートブランドとして、三菱製自動車用のパーツや関連グッズの販売も手掛けています。
創設者もラリードライバー
1983年4月に株式会社ラリーアートとして成立します。創設者はアンドリュー・コーワン氏でした。氏は、スコットランド出身のラリードライバー。長距離のイベントで力を発揮したことから〝鉄人〟や〝フライング・スコット〟という異名を持ち、三菱だけではなくメルセデスやブリティッシュレイランド、ルーツ、タルボなど様々ワークスでハンドルを握った名ドライバーの一人です。
氏が三菱と出会ったのは1971年。翌年のサザンクロス・ラリーにギャランで参加し、総合優勝を果たしました。この時の勝利が、三菱の国際ラリー初優勝なのです。その後、2002年11月に設立された三菱自動車のモータースポーツ事業を統括するMMSPにて、2005年10月末までスポーティングアドバイザーを務めることになります。
事業縮小されたラリーアート
2005年に三菱自動車はWRC、2009年にはダカールラリーから撤退を表明。ラリーアートのレース参加自体も、かなり減っている状態になっていました。
そのような流れもあり、2010年にラリーアートから事業の大幅縮小が発表されます。業務の廃止が名言されたのは以下の通りです。
- モータースポーツユーザー支援全般(参加支援、技術支援、ドライバーオブザイヤー表彰等)
- ラリーアートメンバーズクラブ(RMC)
- ラリーアートオンラインショップ(インターネット通信販売)
- ラリーアート主催のイベント(ドライバーズレッスン等)
- ラリーアートメールマガジン、モータースポーツ情報発信(web等)
実は今も続いているラリーアートブランド
前述したように業務縮小してしまったラリーアートですが、ラリーアートパーツやグッズの企画・販売は今も行われています。
キャラクター商品やパーツ、三菱車純正パーツなどを取り扱っているラリーアートピットが、神戸・川崎・大分・帯広に展開(ラリーアートピット京都は2009年9月閉店)しており、現在でも競技車両の製作やメンテナンスに対応しています。
ラリーアートピットインター川崎
- TEL:044-850-2226
- FAX:044-850-2274
- 所在地:神奈川県川崎市高津区末長4-25-5 ストリートライフ 内
- 営業時間:(平日)am10:00-pm18:30/(日曜祭日)am10:00-pm18:00
- 定休日:火曜日定休
- webサイト
ラリーアートピット神戸(神戸兵庫三菱自動車販売株式会社)
- TEL:078-595-8839
- FAX:078-595-8869
- 所在地:兵庫県神戸市北区日の峰2-9-3
- 営業時間:9:30~19:00
- 定休日:毎週水曜日
- webサイト
ラリーアートピット大分(有限会社 ダカール)
- TEL:097-524-3751
- FAX:524-3752
- 所在地:大分市大在浜2-2-11
- 定休日:毎週水曜日
- webサイト
ラリーアートピット帯広(帯広三菱自動車販売株式会社)
- TEL:0155-33-8881(代表番号)
- 所在地:帯広市西19条北1丁目
- 営業時間:9:30~17:30
- 定休日:火曜・祝日
- webサイト
クルマのグレードとしてのラリーアート
ラリーアートは、会社名/ワークスチーム/ブランド名としてだけではなく、三菱自動車のラインアップの中でグレード名として使用されたこともあります。ギャランフォルティス、コルト、ランサーなどのモデルにて展開されていたため、リアに〝RALLI〟と〝ART〟に挟まれた、赤とオレンジの5本ずつの縦線ロゴマークを見たことがある方も多いでしょう。
ラリーアートグレードはいわば特別仕様車であり、チューニングが施された専用エンジンやエアロパーツ、レカロ製シートなど、内外装共にかなりスポーティに仕上げられ、限定モデルとしての意味合いも強かったグレードです。
ラリーアートの活躍【80年代】
三菱が初めてラリーに参加したのは1967年。オーストラリアで開催された第二回サザンクロス・ラリーでした。ここから、〝ラリーの三菱〟の歴史は始まったのです。
80年代に入るとオーストリアに本拠地を置き、ランサー2000ターボでヨーロッパのWRCに参戦をスタート。ラリーアート・ヨーロッパはやがて英国にファクトリーを構え、スタリオン4WD、ギャランVR-4、一連のランサーエボリューションシリーズで参戦。名機と呼ばれる4G63エンジンや革新的な4WDシステムで一時代を築きました。
1983年からは、9年という歳月をかけて開発したパジェロで、ダカール・ラリーへの挑戦を開始。広大なサハラ砂漠を含む総走行距離約1万3000キロという過酷なレースで、クラス優勝。これでパジェロの名前が世界中に轟くことになったのです。
ラリーアートの活躍【90年代】
三菱はWRCから撤退するまでの間に通算34勝を挙げました。98年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得、96年から99年まで4年連続でドライバーズチャンピオンを獲得しています。この栄光の立役者となったのが、現在TOYOTA GAZOO RacingのWRCチームを率いるトミ・マキネンその人だったのです。
ダカール・ラリーへの挑戦も続いており、1997年開催の第19回大会では篠塚健次郎選手がパジェロで日本人初となるダカール・ラリー総合優勝を飾りました。
ラリーアートの活躍【00年代】
2000年代に入ってからのトピックスといえば、新たな競技車両として第29回ダカール・ラリーに投入されたパジェロエボリューションの活躍でしょう。
この大会にはパジェロエボが4台投入され、二輪部門・四輪部門で最多総合優勝数の記録を持つフランス人ドライバー、ステファン・ペテランセルが3度目(当時)の総合優勝。これにより、三菱のワークスチームはダカール・ラリー7連覇・通算12勝という、現在でも破られていない大記録を打ち立てたのです。
ラリーアートの歴史まとめ
事業縮小してしまった三菱・ラリーアートですが、復活を望む声も少なくありません。モータースポーツで得たノウハウを投入したラリーアートグレードや、ラリーでの国産メーカーの活躍を牽引してきたラリーアート・ワークスチームは、自動車業界にとってもかけがえのない存在でしょう。いつの日か、またラリーアートが表舞台で活躍してれる日を夢見ずにはいられませんね。