勇ましいライオンエンブレム。プジョーの歴史に迫る | CARTUNEマガジン
勇ましいライオンエンブレム。プジョーの歴史に迫る

2019年06月19日 (更新:2020年08月27日)

勇ましいライオンエンブレム。プジョーの歴史に迫る

後ろ足で立ち上がる勇ましいライオンを形取ったプジョーのエンブレム。世界最古の量産自動車メーカーでもあるプジョーですが、時代によって、エンブレムのライオンの顔もさまざまです。ガソリン自動車の始まりであるダイムラー・ベンツ、大量生産に成功したフォードの間に誕生し、偉業を成し遂げたにもかかわらず、あまり知られてこなかったプジョーの歴史を改めて紹介していきます。

プジョーは始まりはノコギリ屋さん?

青二才さんのRCZの画像
青二才さんのRCZの画像

2010年に創業200年を迎えたプジョー。その長い歴史の始まりは、フランスの地で伝統的な農業を営んでいたプジョー家が工業への転身を果たす、1810年までさかのぼります。

農業から工業へ

製粉業から織物業へと職種を変え、独自の手段で工業化に取り組んだのは1810年のこと。その後順調に発展を遂げ、やがて金属製造を手掛けるようになりました。

1850年ごろには新たな工場を設立し、ノコギリや歯車構造のコーヒーミル、トリシクルといわれる三輪車などさまざまな製品を作り出しています。この時の積み重ねが、後の車づくりに必要な技術の基礎でもあったのでしょう。

この頃にはすでにプジョーのエンブレムにはライオンのマークが刻印されるようになり、1886年にはチェーン駆動のギアシステムを持つ自転車の量産も開始。

また、工場が作られた場所は、現在でもPSAプジョー・シトロエン社が使用しています。

引用元:https://web.peugeot.co.jp/history_asset/img/img_emblem_sub_b.jpg

自動車の時代

プジョー一族の中で車づくりに高い関心を持っていたのは、後のプジョー設立者となるアルマン・プジョーです。アルマンはドイツの技術者で、内燃機関の自動車開発のパイオニアであったゴットリープ・ダイムラーに会った後、世界最古の自動車である蒸気エンジンを搭載した3輪自動車を制作。その後蒸気エンジンを断念し、ダイムラーのライセンスを得たことで、ガソリンエンジン車「Type2」の製造を開始することとなります。「Type6」は稲妻のニックネームを持ち、初めて空気の入ったタイヤを使用してパリのレースに参加しています。

プジョー初のエンジン搭載車登場

1896年にはプジョー初の2気筒水平エンジンを搭載した「Type14」が発表されています。これにともない、ダイムラー社製エンジンの使用はなくなりました。この頃にはラインアップも一新され2人乗り、対面シート、超小型車、8人乗りワゴンから12人乗りまで幅広い車種が登場しています。

1898年には「第1回パリ・モーターショー」に出展。フランス、ドイツ、イギリスに誕生した自動車メーカー10社、29台が参加しています。ドイツは車が発明された地でありながらも、当時は道路の整備が進まないこともあり自動車に目を向ける人は少なかったようです。

対してフランスでは、ナポレオンが軍隊のために道路を整備していたことから自動車産業が発展、プジョーにとって追い風となっていたのでしょう。この頃には年間500台を生産するほどの成長を見せました。

第一次世界大戦後の躍進

第一次世界大戦が終わると、プジョーはより多くの人に使ってもらうための取り組みとして自動車の大衆化を図ります。格納式ルーフやエアロダイナミックボディという革新的な技術が広められることとなりました。

1920年には25馬力のバルブレス6気筒エンジンを搭載したモデルを発表。1923年にはプジョー全モデルに四輪ブレーキが標準またはオプションで採用されています。

プジョー201の大ヒット

引用元:https://web.peugeot.co.jp/history_asset/img/img_hstry_1919_b.jpg

1929年に201と名付けられた6馬力モデルが初めてデビューしました。これはプジョーの伝統にもなっている真ん中に0を入れた3桁数字の初モデルで、Central 0」と呼ばれ、現在では世界的に知られるところとなっています。前輪の独立懸架式サスペンションは世界初で、大ヒットを納めることになりました。

ライオンのさらなる飛躍

1974年のオイルショックにも揺るがなかったプジョーは、シトロエンに続いてクライスラー・ヨーロッパの吸収合併に成功。ヨーロッパでの勢力拡大を図るとともに、中国での事業展開を表明。また、1991年には世界で初めてプジョー106とシトロエンAXが電気自動車の実地トライアル走行をしています。

トヨタとの共同開発「アイゴ」

半ライス大盛さんのアイゴの画像
半ライス大盛さんのアイゴの画像

2001年ヨーロッパで利用されている乗用車分類のAセグメントに低コスト車種を投入することで、市場の拡大を図りたいトヨタとの合弁会社「TPCA」を設立。ヤリス(日本名ヴィッツ)の下のモデルとして登場します。残念ながら日本未発売ということもあり、なかなか目にする機会はありませんが、2代目が2018年にマイナーチェンジをしている現行車です。

プジョー初4桁の数字を持つモデルの誕生

ヨシノブつかもと?(ローガン)さんの1007の画像
ヨシノブつかもと?(ローガン)さんの1007の画像

2004年に発売された「1007」は「従来のカテゴリーに囚われない新たなコンセプト」と位置づけ、車名が3桁ではなく00を真ん中に持ってきた4桁になっているのが特徴です。3ドアのトールワゴンで前席両側が大型のスライドドアとなっているめずらしいタイプの車です。

また2009年、コンセプトカーは「308RCZ」としてフランクフルトモーターショーに出品していましたが、市販時には「308」をなくした「RCZ」として登場。両車ともに今までの車名を引き継がなかったことは、プジョーの新たなチャレンジの証なのかもしれません。

プジョーのシンボル「ライオンエンブレム」の意味とは

RiE@RCZ🦁さんのRCZの画像
RiE@RCZ🦁さんのRCZの画像

1850年に自社の鉄鋼製品を競合他社の製品と差別化し、高いクオリティを強調する目的でライオンエンブレムを刻印することしたプジョー。当時の広告宣伝には「ノコギリの刃の堅牢さは、ライオンの歯のごとく」「ノコギリの刃のしなやかさは、ライオンの強靭な肉体のごとく」「ノコギリの刃の切れ味の良さは、獲物にとびかかるライオンのごとく」とノコギリの品質とライオンの優位性を関連付けたキャッチコピーが付けられていました。

また、ライオンは昔から世界各地で守り神として称えられてきた動物で、プジョー発祥の地であるフランシュ・コンテ地方を治めていたブルグント伯家の紋章もライオンでした。プジョーはブルグント伯家を手本として、事業の繁栄を願いライオンをエンブレムに取り入れたのかもしれません。

プジョーのライオンエンブレムは彫刻師によって仕上げられたものでしたが、その後は4本足で歩く姿になったり、横顔だけになったりと、幾度かかたちを変えています。現在世界中で親しまれている立ち上がったライオンは「ブルーライオン」と呼ばれており、日本のディーラー名にもなっていたので、耳にした人もいるのではないでしょうか?ちなみに、2006年8月でディーラーとしての役目は終えたようですが、ライオンのエンブレムはもちろん健在です。

車名にはどんな意味がある?

KEITOさんの208A9CHM01の画像
KEITOさんの208A9CHM01の画像

Central 0の車名は1929年に発表された「201」以来、75年もの間31車種で使用されてきました。以前、ポルシェが試作車として「901」を発表した時にプジョーがクレームを入れたことがあるほど。プジョーのCentral 0へのこだわりの強さが感じられますね。

規則性のあるモデル名

プジョーの車種が表す数字には、それぞれ意味があります。1桁目がサイズ、最後の桁が世代を表しており、クラスと世代の間に必ず入るのが、0の数字です。サイズが大きくなるほど数字が大きくなっており、900番が表すのはレーシングカー、600番が最上級モデル、200番は全長3メートル以下の小ぶりなサイズというようになっています。

新しい規則性の導入

がわしさんのRCZT7R5F02の画像
がわしさんのRCZT7R5F02の画像

2004年に「1007」を発表して以来、新たな規則性が加わっています。4桁の数字はMPVやSUVに使用。RCZにおいては初めて数字を使用しないモデルを登場させました。全ての車種で最初の数字はサイズを表すことに変わりはありませんが、後の数字については、ヨーロッパ主力車種に8を使用し、新興国市場向けには1が適用されることになっています。今後の世界市場を視野に入れた取り組みといえるでしょう。

さいとぅーさんの106洗車の画像
さいとぅーさんの106洗車の画像

プジョーといえば「ネコ足」といわれる、しなやかな足回りが特徴です。石畳や山間部などのワインディングロードの多いフランスで、それらの道に対応したプジョー独自のサスペンションが生み出す特性といえるでしょう。

また、「ネコ目」と呼ばれるフロントフェイスは、ライトが吊り上がった猫の目に似ているからですが、これも大きな特徴のひとつ。プジョーは長い歴史の中で培った技術を活かしながら、時代に対応する車づくりを続けてきました。積み重ねてきた歴史をプライドとして、今後も進化を続けるメーカーであり続けて欲しいですね。

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